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プロに
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写真嫌いの3代目、
写真館を継ぐ

社長の話

私が話します

代表取締役社長 西田晃三

いせや写真館3代目として、ペット専門フォトスタジオ「わんにゃんぽえむ」・記念日フォトスタジオ「シンデレラポエム」・ネットの衣装レンタル「貸衣裳ぽえむ」の3事業を展開中。大学時代はギターに興味を持ち「ギターマンドリン部」に所属するも、早々に求めていたレベルに到達。しぶしぶマンドリンの練習を開始すると、“好きで始めるよりも、やっていくうちにハマっていくことが多い性格”のおかげでどハマりし、4年次にはコンサートマスターまで上り詰めたという経歴を持つ。

─ 本日はよろしくお願いします。
まず初めに、写真館の息子でありながら写真が嫌いだったのはどうしてですか?

本当にびっくりする話ですよね(笑)そもそもいせや写真館は祖父の代から始まったんですけど、もともとは炭屋(燃料屋)からのスタートでした。父の代で写真事業が始まり、徐々にいまの形にシフトしていったのですが、僕は小さいころからカメラが身近すぎて、嫌いでした。それに美術の成績も悪かったから、自分には写真のセンスはないだろうと思っていました。学生の頃はカメラマンて“根暗”なイメージを持ってたし、写真部なんかも、いわゆる“イケてない人たち”という偏見がありましたね。

だから専門学校へ行くわけでもなく、近畿大学の経営学科に進学して、ギターマンドリン部でマンドリンばっかり弾いてました(笑)

でも、大学3年のある日、おじいちゃんが交通事故で植物状態になってしまったんです。病院に駆けつけて、動かなくなったおじいちゃんの姿を目の当たりにしたとき、“人間てホンマにいつどうなるかわからんな”って思ったんです。そしたら「あー、人生って一回きりなんや」って痛感して。そしたら“このまま大学を卒業して40年間サラリーマンをするんだったら、好きか嫌いかは置いておいて、家業を継いで生きていく方がいいかな”って思えたんです。なんとなく、サラリーマンは性に合わない気もしていたので。

それからですね。アルバイト先を写真屋に変えて、写真の勉強を始めるようになったのは…

2代目(社長の父親)の写真館時代。

─ 雇われる側ではなく、経営する側の人生を選ばれたということですね。
大学卒業後は5年間のカメラ修業に出られていたということですが、どんなことをされていたんですか?

奈良で1年、岐阜で4年間修業しました。ラッキーなことに、岐阜での修業期間は一番下手な先輩カメラマンの写真編集を担当していたんです(笑)下手に撮ってるのはカメラマンなのに、当時はそれを上手く編集できない僕が怒られる時代でした。だから毎日必死になって、どうやったら綺麗に見えるか研究していました。

そしたらあるとき、写真のトリミングの仕方と撮影バランスの黄金比率を見つけて、「こうやったらええんや!」って全てを悟った“アハ体験”があったんです。それからは修業の身でありながら指名をいただいたり、毎年コンテストで賞をもらえるまでになりました。

岐阜での修業時代。

─ カメラ修業を終えて、実家に戻られたときはどんな印象でしたか?

それが、めちゃくちゃ浮いていました。僕が戻るまでのいせや写真館は、“クオリティより人の数”を重視したやり方でした。何ヵ所同時に撮影に行けるかとか、カメラマンの多さを売りに仕事を取っていたんです。そこに僕が急に帰ってきて「クオリティ!クオリティ!」と言い出したり、まだまだネガが残る時代に「デジタルに変える!」なんて言ってたから、みんなに煙たがられていました。

今思えば自分一人の職場ではないし、他のカメラマンをうまく動かせなかったのが要因だったと思います。淡路島に帰ってきて、“さぁ、これからやるぞ!”と力を発揮しようと思ったけど、1年目は1,000万の大赤字。父親とも喧嘩ばかりしていました。本店は、先輩カメラマンも大勢いたから衝突も多いし居心地が悪くて…あの頃の僕は、完全に孤立して“四面楚歌”状態でしたね。

淡路島に戻り、やる気に燃えていた20代。

─ それは大変でしたね…どうやってその状況を脱したんですか?

その頃ちょうど、志筑にあるシンデレラポエムの店長が急に辞めることになって、本店から僕がカメラマンとして出入りするようになったんです。

通い始めてみると、そこは本店と雰囲気が違いました。本店は、“何かあったら父(2代目)に解決してもらおう”という甘い風潮がある中、シンデレラポエムは女性のパート従業員だけでお店を運営しているから、“自分たちで何とかしよう”と自立心を持って頑張っている姿が印象的でした。

そこに店長の不在も重なったから、余計にみんなが「あれやっていいですか?これやっていいですか?」って積極的に意見してくれているようにも見えましたね。僕自身もこれまでのシンデレラポエムの状況を把握しきれてない部分があったので、彼女たちの意見はすごくありがたかったし、やっと仕事の価値観が合う仲間が見つかったなと思いました。

志筑にあるシンデレラポエム。

─ シンデレラポエムのスタッフとの出会いが、一つの転機になったんですね。

そういうことです。もともとシンデレラポエムは、結婚式の前撮りのお店として1994年に建てられました。その頃、結婚式の写真と言えば徳島の写真屋に頼むのが当たり前で、カメラマンを淡路島に連れて来るのが通例でした。父はそれが悔しくてシンデレラポエムを建てたとこもあるんですけど、一年くらいで阪神淡路大震災が起こってしまって、ここも液状化の被害を受けたんです。

言うまでもなく、客足は一気に減りました。でも、そこで僕たちは意識が変わり、「写真屋」ではなく「思い出づくりのメーカー」を目指すようになりました。写真というツールを使い、いかにお客様に思い出を残していただくかを考えるようになっていったんです。

実はシンデレラポエムができたとき、2階はテナントで、結婚式場の貸衣装屋さんが入ってたんです。それがどういう訳か、震災後のあるとき、40着ほどの衣装を置いたまま出て行っちゃったんです。スタッフからはちょくちょく「この衣装をなんとか活用できませんか?」と言われていたんですけど、しばらくそのままにしていて。

そもそも当時は呉服屋さんや貸衣装屋さんが淡路島には何軒もあったから、ノウハウもない中、同じ土俵に立っても勝てないと分かっていたし、それ以上にその頃は、成人式の写真撮影を呉服屋さんや貸衣装屋さんと30組ほど連携していたこともあって、その取引先を裏切ることはできないと思っていたんです。

そんな時、うちのコンサルの先生が、京都のとある貸衣装屋のチラシを持ってきたんです。要はそこがネット貸衣装をしているから、新しいドレスを購入しなくても、そこで借りてうちで前撮りをしたら良いんじゃないかという提案でした。でも、“ネット貸衣装なら、島内の目を気にせずにうちでもできるんちゃうか?”と思ったんです(笑)それだったらうちに残された衣装を“何とかしたい”と言うスタッフの熱意にも応えられるなと。

それですぐ見学に行って、ノウハウを学んで2010年の春にネット貸衣装事業をスタートしたんです。衣装を置いて出て行ってくれたおかげですよね(笑)

シンデレラポエムの貸衣装。

─ 様々な条件とタイミングが重なったんですね。ネット貸衣装事業が始まってからは、どんな様子でしたか?

貸衣装が始まってからは、とにかくみんなわくわくしていました。「日本制覇」を小さな目標に、大きな日本地図を買ってきて、注文が入った都道府県を蛍光ペンで塗りつぶしていくのが楽しくて。「東京来たー!」とか、「岡山はなかなかけえへんなぁ」とか言い合ったりして。全員が同じ方向を向いて、同じ熱量でやれている実感があって、一体感というものを初めて感じました。

それから平日はネット貸衣装、土日は写真撮影という仕事のサイクルもできてきて、本店でも貸衣装を始めるようになりました。

注文が入った都道府県を蛍光ペンで塗りつぶしていった。

─ みなさんの楽しそうな光景が目に浮かびますね。
ネット貸衣装をスタートして、お父様(2代目)がいらっしゃる本店からは、西田さんたちの様子はどう見えていたのでしょう?

それが段々、衣装も増えてスペース的にもシンデレラポエムだけでは厳しくなってきて、本店でも事業を広げてもらうことにしたんです。父親や本店スタッフもネット貸衣装事業がうまくいってるのを見ていたから、案外あっさり受け入れてくれましたね。

それから4年が経った頃ですよ。父親から急に「今月で引退するから、来月から社長な」って言われたのは…もちろん、いつかは継ぐ意識でいたけど何の前触れもなかったので、“えぇー?!”って感じで…(笑)だから正直、感覚的には肩書が「社長」に変わっただけでしたね。恐らく、ネット貸衣装事業の売り上げが伸びていくにつれて、それまで何も言わなかった父親が初めて気にするようになっていったので、社長交代はその成長を認めてくれた証だと思います。

もちろん、いまもみんなの努力によってネット貸衣装の売り上げは伸び続けています。あまりの伸び率に業務量が爆発的に増えて、組織が空中分解しかけたこともあるくらい(笑)いまはネット貸衣装事業は「貸衣裳ぽえむ」として集約し、運営しています。
本店は、動物の撮影ができる「ペット専門フォトスタジオ」も新たに併設してリニューアルオープンし、「シンデレラポエム」は記念日フォトスタジオとして変わらず運営しています

現在は3つの事業部隊で展開していますが、今後も“思い出づくりのメーカー”という理念を基軸に、様々な事業展開を考えていきたいと思っています。

本店に新たにオープンしたペット専門フォトスタジオ「わんにゃんぽえむ」。

─ 紆余曲折ありながら築いてこられた形態なんですね。また詳しいお話は各事業部のスタッフの方からお伺いしたいと思います。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。

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